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2012/11/07

今の中国をどう見る(コラム)

Tweet ThisSend to Facebook | by:こうせい

 

コラム

ここ数年余りで経済等ビジネス書を数十冊読んできた。中国の経済論は多くの方が書かれているが、外側から書かれたものが多く、中国国内から書かれているのは殆ど無い。今の中国は、毛沢東時代と違い、経済論については、比較的に自由のようである。

中国国内の専門家たちの議論や分析から多くのことを学び、中国経済が抱える諸問題をまとめて石平氏が、日本の読者に一冊の本にして紹介されている。今回その全容は纏めきれないのでその一部になるが、現在どのような状況にあるか、判断できる重要な部分を紹介する。

中国の経済構造と状況として分析をしており、輸出と投資の関係を二つのエンジンと譬え、国民消費は経済全体で占める割合が低く、内需が慢性的に不足しており、投資と輸出という二つのエンジンを頼りに成長を維持する構造になっている。

この様なことから、国際市場の需要の低減がもたらした中国の対外輸出の伸び悩みと、国内の不動産市場の低迷により、不動産投資の下落が原因となり、経済成長の二つのエンジンが同時に勢いを失い、減速することになっている。

輸出と共に投資の拡大をもって経済成長するために、大量の貨幣の供給はインフレ発生の火種となり、結果的にインフレと不景気が同時に進むスタグフレーションに突入すると北京大学光華管理学院の教授が指摘する。

更に、中国の4大在野経済学者の一人は「内需と外需のアンバランス」「投資と消費のアンバランス」を「二重の不均衡構造」と指摘しており、不動産投資のやり過ぎが経済全体の過熱とインフレを生じさせ、不動産バブルを膨らませる結果となる。そのような中、政府のインフレ抑制のため金融引き締めにより、不動産バブルが弾け、経済全体の原則につながると指摘する。

また、主流派経済学者の一人は、アメリカの金融危機の発生が、中国経済に多大なマイナス影響を与えた事ではあるが、外部環境の変化にこれほど影響されやすくなった理由は、内需と外需のアンバランスであり、過度の投資拡大と消費不足との不均衡であると指摘し、この二重の不均衡構造が中国経済の抱えるすべての困難と問題の病巣であるという。

これら過度の投資は、過度の生産につながり、国内需要が追い付けない状態にあり、「過剰投資の取り締まりは中国の急務だ」と政府の国家発展と改革委員の主任も公の場で発言している。また温家宝首相も全国人民代表大会の閉幕の記者会見で「中国経済が経済全体のアンバランスな構造上の巨大問題を抱えている」と認めている。

内需拡大政策は、なぜうまくいかないかは、国民の消費意欲の低迷にあり、このことは中国の社会保険システムの不備にある。国民の大半が医療保険を持っていないことから、医療費の高騰が緊急時に備えた貯蓄に励む事になり、庶民の消費の長期的低迷を招くとしている。

更に極端な貧富の格差が消費の低迷をもたらすとしている。人口のわずか1%の富裕層が個人資産の41%を掌握してり、これが国民全体の消費動向の大きな影響を与えている。一般的に消費の主力は低収入層や高収入層ではなく、むしろ中間の中流階級である。スイスのUBSの試算では、中流階級に認定できるのは2500万人で総人口の20%にすぎない。

したがって、このような経済構造と消費不振の中で経済成長を維持するために更に投資を拡大しなければならない矛盾と、投資を止めることにより経済全体の伸び率を落とすことで、失業者の問題を引き起こしていくことに政府は何よりも恐れている。

実は現在の中国は、経済発展の真っ只中にもかかわらず、大学卒業生の就職難でかつての日本以上の「就職氷河期」を経験している。中国教育部の報道官によると、2007年大学を卒業した500万人のうち、その年の9月末までに就職できていない大卒者が144万人、全体の28.8%に上るという。

就職難は大卒者だけでない。中国労働・社会保障部が雇用事情と今後の予測に関するレポートを発表しているが、都市部では毎年2400万人の新規求職者が職を求めているが、提供できる就職口は約1200万個であるから、毎年半分の人たちが失業者の大群に加わることになる。

農村部へ行けば事態はさらに深刻で、農村部から都市部へ約2億人の労働力が出稼ぎ労働者として都市部へ流出している。それでも農村部では12000万の人々が余剰労働力となっている。まさに失業大国となっている。これは10%以上の驚異的な成長を遂げているさなかの事態である。これが多少でも減速するとこの国の雇用事情は一体どうなるのか明らかである。

さて、最近の反日運動についてであるが、石平氏が学生だった80年代当時、日本で活躍していた高倉健、中野良子、栗原小巻などの俳優は、中国においてもそのまま国民的アイドルとなっていた。歌手の山口百恵といえば、中国人はその名も知らない人はいなかったという。19843月当時の中曽根首相が北京訪問時、若者たちは実に温かい気持ちで来訪を迎えたという。

来訪に合わせて、大学の日本語学科の生徒たちは、全校向けの「日本週間」と称し、イベントを開催、日本のことを色々宣伝したという。会場は人が溢れるほどの盛況ぶりで、石平氏はこのイベントで日本に興味をもつようになったという。イベントの内容は、心から親近感と好感を込めて、日本のことをアピールしたものであった。

石平氏は後の1988年に来日し、1995年に神戸大学大学院文化学研究科博士課程を修了。90年代の後半に帰国したときに出会った多くの反日青年は、過去の戦争における日本軍の「無動」や「殺人」などの原因で口を揃えて語っていた。しかし彼らより、80年代の石平氏らの年代の若者が、過去の戦争への記憶がより鮮明で、日本を憎む気持ちは強いはずと言う。

1997年以来、帰国するたびに、日本に対する激しい憎しみの嵐に遭遇したという。この10年間、日本の中国に対する姿勢は変化していないのは、日本で生活していた彼が、中国で生活する人たちより一番よく知っている。この感情の変化の原因は、むしろ中国側にあることは、明々白々であるという。

その原因は何か、それを探るために、中国国内の出版物や、新聞記事など集めて読みあさり、検証を繰り返し、真相をつかんだという。それは、真っ赤な大嘘と悪意の捏造を内容とした国家規模の反日宣伝と教育が、一つの統一された主題と台本に基づいて、学界やマスメディアを総動員する形で組織的に行われてきたという。その検証内容は、「なぜ中国人は日本人を憎むのか」(PHP研究所)で詳細に報告されている。

ここではその内容は、まさに偏見と悪意に満ちた独断的な論述を特徴としており、日本という民族は、生まれつきの「侵略本能」を持つ悪魔のような存在として描かれている。このような観念でとらえて、さらに肉付けして全国民に広く浸透させているのが、党の宣伝機関のマスメディアであるという。

これらは20001月に、民間団体が大阪で「南京大虐殺」の真偽を検証するとわずか400人参加の集会を3時間にわたって行ったことから、「人民日報」や中央テレビ局をはじめメディアは総力を動員し半月にわたり、日本批判キャンペーンを展開した。南京で発行「新華日報」の関連記事、抗議文、批判論文は11日間で、全部で23にのぼる猛烈ぶり。人民解放軍の機関紙「解放軍報」、全国の知識人を主な購読者層とする格調の高い「光明日報」、経営者たちに最も人気のある「中国経営報」もキャンペーンの展開に全力を挙げている。

「大阪集会」が発端とする、日本批判キャンペーンが展開された20001月、石平氏は出張で北京に滞在しており、毎晩ホテルの一室で、新聞各紙を読んだり、テレビ放映を眺めて脳裏に葬られたはずの、数十年前の記憶が蘇ったという。それは、断固とした口調でまくしたてるキャスターの顔は、学校や家のラジオから聞こえてきた、お兄さんやお姉さんが、社会主義祖国を称賛し、帝国主義者を非難するあの懐かしい声を思い出したという。

「日本軍国主義の復活は断固として許せない」という千篇一律のセリフは、文化大革命の時代、革命的群衆たちが党の宣伝部に動員され、町の広場に集まり、反革命分子を糾弾するための批判大会を開く時の、あの集団的発狂の恐ろしい場面が、目の前に浮かんできたという。

石平氏は人生の中で、もっとも嫌悪しているのが、毛沢東時代の人騙しの洗脳教育が、そっくりそのまま、今の中国で繰り返されており、ラジオがテレビに変わっただけで、糾弾すべき人民の敵は、昔の反革命分子から今の「日本軍国主義」に代わっただけの話であるという。

この反日宣伝運動を見ただけでも、その「黒幕」は中国共産党政権であることは一目瞭然であり、洗脳教育は六.四事件(天安門事件)をも正当化し、若者を中国共産党への入党させるためのであり、共産党の一党独裁体制を安泰させるものであるという。

これまでのように、90年代になり中国国内の反日感情が急に高まったのは、80年代と90年代との分岐点となった、1989年の天安門事件であり、民主化運動がもたらした衝撃により、丸腰の学生たちを首都において虐殺した犯罪行為が、中国共産党政権の正当性が完全に揺らいだ。

この行為が、共産党政府は、若者や多くの国民から「殺人政府」として非難され恨まれて、共産党自身が「人民の敵」になることが恐れていた。したがって、自らを窮地から救い出すため、「秘策」を講じたのが「反日」という名の必殺の剣である。あの事件以来、共産党の一党独裁体制が微動だにしなかったことが、策謀の揺るぎない証拠であるという。

これらは、資料の整理から原稿の書き上げに1年半を要し「なぜ中国人は日本人を憎むのか」に纏め20021月に日本で出版。石平氏自身あらゆる意味においてルビコン川を渡ってしまった。以来「反日」という怪物との格闘がライフワークとなった。この問題に本気で取り組むと「もう一つの得体の知れない怪物」とも対面せざるを得ないことに気が付くことになったという。

90年代以来、中国共産党政権が「反日教育」とセットで、全力を挙げて推進してきたのは、「愛国主義精神高揚運動」という教育運動である。この「愛国主義」という名の集団的熱病は、「反日感情」の高まりとともに中国全土に蔓延している。詳細は2002年に上梓した『中国「愛国攘夷」の病理』(小学館文庫)に記述しており、マスコミや中国で最大の影響力を持つサイト「sina.com」などを利用しての行為は、健全な市民社会の良識もなければ人間の理性の正常な働きもないとしている。

これまでの内容は、石平氏の『私はなぜ「中国」を捨てたか』や『ほんとうに危ない!「中国経済」』などを参考にした。石平氏は2000年以来「なぜ中国人は日本人を憎むのか」など数多くの日中関係や中国の本性、真実を書いたり、講演活動を行っている。

中国が現在、おかれている経済的な状況と日本に対する政治的な施策が、恰も中国国内の活動家が行っているような見せかけについて、お解りいただけたと思いますが、これは民主化を恐れた政府が、国土の均衡ある発展のための政策を執らなかったことが、経済的に不安定となった。そして愛国主義という名の下で潜在的な「反日感情」が今回の尖閣諸島問題に発展したのではないかと私は思っています。従って政府が仕掛けたもので無ければ解決は難しい。

戦後の日本は国土の均衡ある発展のためにインフラの整備を行っており、これが内需を押し広げている。中国の場合、土地が個人資産で無いことから、道路やダムを建設しても僅かな補償が入るだけでその効果は少ない。また投資が大都会に集中し、一部の富裕層を生みだしただけで、内需が膨らまなかった。

さて、次期国家主席に内定している習近平氏は、どのような政策を執るのだろうか注目されるところであるが、中国全土で反日デモが荒れ狂う9月上旬から2週間ミャンマーやラオスを訪問している。今のところどのような政策を行うのか全く判らないが、ASEANを重視する中国の姿勢が垣間見られる。

日本銀行によると、日本からASEANに対する直接投資は過去から2011年までの累計で9兆円近くに達するという。日本を意識しての行為なのか、私はそのような余裕は無いとみている。今こそ内需を広げる投資を国土の奥深い所に行い、貧困層を少なくし、中流層を広げる政策を執るべきだと考えるが皆さんはどの様にお考えでしょうか。


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