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2012/08/28

独自の地域医療を展開する隠岐島前病院

Tweet ThisSend to Facebook | by:こうせい

日経ビジネス20120820日号

 隠岐島前病院は島根県の西ノ島、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)の島前3島の中核医療病院。地域と一体となり医療・介護体制の構築を進め、島前病院を軸に、診療所や福祉関係者、行政などが協業して、医療や介護に対する地域の満足度を高める。この体制づくりに主導的な役割を果たしているのが島前病院の院長、白石吉彦である。

2001年に34歳で院長に就任すると、総合医の複数制や福祉との連携、IT環境の充実など、地域医療に求められる施策を次々と進めた。このことにより、内科や外科、小児科など幅広い分野を診療できる医者を増やし、医師不足を補っている。また、福祉と連携することにより、病院、社会福祉協議会、行政が問題を抱える高齢者の情報をしている。

自治医科大学は、地域医療を担う総合医の育成を行っており、白石院長はこの医大の在学中に中国語を習得、中国に留学し漢方医学を2年間学び、他国との医者の卵と接し、文化的背景の違う医者と医療の極北を見たことにより、米国のシアトルへも留学し、ここで「ファミリーフィジシャン」という概念にであった。

これは、「家庭医」のことで、日本の開業医とは異なり、日常疾患だけでなく、皮膚のトラブルやペインクリニック、出産、整形外科など幅広く対応するもので、自分の目指す道と確信し、卒業後の初期研修では耳鼻科、眼科、精神科以外はすべての科を回り、病状を診て、入院か手術かなど判断基準を意識し学んでいる。

出身の徳島県では、那珂町の日野谷診療所で2年間過ごしたが、隠岐諸島渡ることになったのは、大学の2年後輩で、ソーシャルダンスで知り合い伴侶となる妻が、島根県の出身であった。2人が両県で5年間ずつ勤務することで大学に特例を認めてもらい、島前診療所に赴任した。20013月病院格上げを前に、診療所長が定年退職となることから、島根県立病院長や地元町長が来て、「私たちが支えるから」と言われ、院長を引き受けることになる。

離島や僻地の医者が長続きしないのは、家族の問題もさることながら、「医者の孤立」も大きな要因であった。これを解消するには、島前病院、浦郷診療所、知夫診療所の其々経営母体が違う3カ所を医者と看護師を一体的に動かす体制を整えた。患者数の少ない診療所は週3日体制、島前病院に近い診療所は当直を廃止。これらを各自治体に掛け合って一体運営を認めてもらった。

もう1つの取り組みは、重症の肺炎で入院した老人をつききりで治療にあたった患者が退院後、施設で短期入所をきっかけに寝たきりになってしまった。病気が治っても、福祉とうまく連携しないと、本当の医療にならないと痛感。主治医、看護師、薬剤師、ケアマネージャ、ヘルパー、保健師など病院や福祉、行政に関わる30人近い人々が一堂に集まり、情報を共有する「地域ケア会議」である。

ここで重要なのは、質の高い医療を継続的に提供する仕組みを作ること。白石院長が目指すのは、自分がいなくても島前地区の医療水準が下がらない仕組みを作ることである。高齢化と医療削減を考えれば、福祉との連携や総合医の育成など島前病院が進める現実には過疎の離島を超えた普遍性がある。


コラム

地域の医療・看護・介護のありかたは、もう少し勉強をしなければならないと思っている。この島前病院のように、地域医療に取り組む関係機関は多くない。多くの医療機関が介護施設を営んでいるが、連動はしているが、連携は出来ているのだろうか。
 後に議員活動で報告したいが、札幌の麻生脳神経外科では、脳死でないかぎり人は蘇る力をもっているとし、医療と看護のプログラムで蘇らせる。今、介護施設へ入り、帰宅した者は居ない。当たり前のように限りなく死への道を歩む。少し実態を知り施設の在り方を考える必要があるのではないだろうか。


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